ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは1984年冬季オリンピックが開催された都市です。オスマン時代の建築物が残る美しい街並には、キリスト教寺院に混じって多くのモスクが見られます。ボスニアはヨーロッパにはめずらしくイスラム教徒がたくさんいるのです。1992年ユーゴスラビアからの独立にともないボスニアはムスリム、セルビア人、クロアチア人三つ巴の泥沼の内戦が始まり、20万人の死者と200万人の難民をだしました。サラエボでは民族浄化と呼ばれるセルビア人による虐殺や集団レイプがあり多くのムスリムが犠牲になりました。街の建物の壁にはあちこちに弾痕が残っています。かつてのオリンピックスタジアムは共同墓地となり、五輪のマークが入った塔の下に大勢のムスリムの人達が眠っています。
サラエボの南西約70kmのところにあるモスタルはやはり戦闘の激しかった街です。中世ヨーロッパの様子を残す旧市街を流れるネレトバ川にはアーチ状の美しい橋がかかっています。内戦の時川を挟んでムスリムとクロアチア人が激しく戦いました。橋は1566年に造られたのですが戦闘で破壊されてしまいました。橋はおととし再建され、民族融和の象徴とされましたが、十数年前激しく憎しみあった人達は和解できたのでしょうか。今街の中でムスリムとクロアチア人の住む地域ははっきりわかれています。モスタル高校はムスリム、クロアチア人両方の生徒がいますがクラスは別々、教科書、教師、カリキュラムも全く違います。人々に話しを聞くと、別々の国が住んでいるようだ、内戦以前と同じようにはできない、という答えが帰ってきます。
一見平和に見えるボスニア・ヘルツェゴビナですが人々の傷は深く民族和解への道は容易なものではないと感じました。
2006年 毛利立夫